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Thursday, August 17, 2023

ソ連が北海道占領を断念した一因か、終戦3日後から「占守島の戦い」…遺族が慰霊碑寄贈 - 読売新聞オンライン

 終戦直後の1945年8月18日に千島列島最北東端で起きた「 占守島しゅむしゅとう の戦い」で死没した戦車第11連隊の池田末男連隊長らの慰霊碑が、遺族から陸上自衛隊第7師団(北海道千歳市)に寄贈された。古里の愛知県豊橋市に設置されていたが、遺族の意向を受け、戦車部隊を主力とする機甲師団がある第7師団の史料館に移設された。

 占守島では終戦から3日後にソ連軍が上陸、進軍してきた。武装解除を進めていた戦車第11連隊は急きょ、砲や機銃を組み立てて、砲弾も積み直して応戦。8月18~21日の4日間で、死傷者は日本が約1000人、ソ連は約1500人に上った。この激戦はソ連が参戦当初に望んでいた北海道の分断・占領を断念した一因ともされている。

 慰霊碑は高さ約60センチ、幅約1メートルの硬石製。表面に「将兵眠る」、裏面に「戦車第十一 れん 隊将兵は(中略)士気ますます壮健なり(中略)直ちに敵に突入する 祖国の 弥栄いやさか を祈る」と連隊最後の打電文が刻まれている。池田連隊長の長男の誠さんが管理していたが、2020年に他界。孫の杣谷少菜子さん(55)(東京都)が「自衛隊の教育に使ってほしい」と申し出た。

 遺族からは慰霊碑のほか、78年前の夏に連隊が撮った占守島の写真15枚など計約300点が贈られた。第7師団は占守島の戦いを重要な歴史として語り継いでおり、慰霊碑を史料館の中庭に設置。18日には同じ「十一」という名前を冠して「士魂」をモットーに掲げる同師団第11普通科連隊の隊員らが慰霊祭を行う予定だ。

 史料館は事前に申し込めば無料で見学できる。花田義将館長(49)は「来館者らに長く語り継いでいきたい」と話している。見学に関する問い合わせは同師団(0123・23・5131)。

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