終戦直後の1945年8月18日に千島列島最北東端で起きた「
占守島では終戦から3日後にソ連軍が上陸、進軍してきた。武装解除を進めていた戦車第11連隊は急きょ、砲や機銃を組み立てて、砲弾も積み直して応戦。8月18~21日の4日間で、死傷者は日本が約1000人、ソ連は約1500人に上った。この激戦はソ連が参戦当初に望んでいた北海道の分断・占領を断念した一因ともされている。
慰霊碑は高さ約60センチ、幅約1メートルの硬石製。表面に「将兵眠る」、裏面に「戦車第十一
遺族からは慰霊碑のほか、78年前の夏に連隊が撮った占守島の写真15枚など計約300点が贈られた。第7師団は占守島の戦いを重要な歴史として語り継いでおり、慰霊碑を史料館の中庭に設置。18日には同じ「十一」という名前を冠して「士魂」をモットーに掲げる同師団第11普通科連隊の隊員らが慰霊祭を行う予定だ。
史料館は事前に申し込めば無料で見学できる。花田義将館長(49)は「来館者らに長く語り継いでいきたい」と話している。見学に関する問い合わせは同師団(0123・23・5131)。
からの記事と詳細 ( ソ連が北海道占領を断念した一因か、終戦3日後から「占守島の戦い」…遺族が慰霊碑寄贈 - 読売新聞オンライン )
https://ift.tt/cb9HRnW
No comments:
Post a Comment