あの港に避難していれば――。北海道・知床半島沖で観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没した事故で、地元の漁業関係者らがそう口をそろえて語る場所がある。地元で「文吉(ぶんきち)湾」と呼ばれている避難港だ。半世紀以上前に同じ海域で起きた遭難事故を機に整備され、現在も半島の先端部付近にただ一つしかない避難用の港だという。新たな事故を重くみた斜里町は漁業や観光船の事業者に対してその役割を改めて周知した。
斜里町のウトロ地区の漁師、岩波元吉さん(70)はカズワンの事故後、ずっと心を痛めている。事故が発生した4月23日。一報を聞き、すぐに脳裏をよぎったのは1966年に同じ海で起きた遭難事故だ。低気圧による大シケで、ウトロ地区沖で操業中だったイカ釣り漁船2隻が遭難、計25人の死者、行方不明者が出た。2隻とも無理な航行で避難が遅れたとみられている。
国土交通省網走港湾事務所によると、66年前後の知床岬周辺海域は、避難できずに遭難する漁船が相次いでおり、漁船2隻の事故を受けて斜里町は避難港の整備を国に要望した。当時、ウトロ漁港から知床岬を挟んで羅臼町の羅臼漁港まで約100キロの間に、荒天時に避難できる港はなかった。
避難港は69年、ウトロ漁港の分港として着工し、77年に知床岬から約1・5キロの半島西岸に「文吉湾」が完成。断崖が続く海岸線の中で数少ない平地があり、シケの時に漁船が逃げ込める。ウトロの80代の漁師は「文吉湾ができてから大きな海難事故はなくなった」と振り返る。
時代とともに知床半島周辺の状況は変わった。2005年の世界自然遺産登録後、小型観光船や個人のプレジャーボートなどが増加。一方、文吉湾は自然環境保護のため、観光やレジャーが目的の寄港が禁じられた。ある漁業関係者は「昔を知る地元の漁師は別としても、他の事業者からすれば避難用の港というより、『寄港が禁じられた場所』という印象が強かったのではないか」と打ち明ける。
カズワンが事故当日に予定したのはウトロ漁港を出て約40キロ離れた知床岬まで行って戻る3時間のコースだった。救助を求める118番をしたのは知床半島西側の「カシュニの滝」付近。文吉湾から12キロの距離だった。当時、現場海域に強風・波浪注意報が出ており、岩波さんは「潮の流れも速く、高い波が立ち、小型船を扱うのは難しかったはずだ。文吉湾に逃げ込む選択ができなかったのか……」と指摘する。
56年前の事故後には乗組員の遺族が慰霊碑を建立した。岩波さんは、その手入れをしてきた父親の役目を引き継いでいる。漁業関係者でかつての事故を知らない世代もいる。岩波さんは今回の事故を機に知床半島沖の海域の難しさを語り継ぐ気持ちを新たにした。
カズワンの事故を受け、斜里町も漁港使用の注意事項の文面を変更した。文吉湾について「緊急時の避難先として把握」するように注意をうながし、漁業関係者をはじめ個人のプレジャーボート所有者や遊漁船事業者にも文書で通知した。斜里町の森高志水産林務課長は「海に出てしまった以上、船長の判断が大きくなる。万が一の時、命を守るためにも避難用の港としての役割を知ってほしい」と話す。【飯田憲】
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