ウクライナ情勢などで核の脅威が高まっているのに加えて、被爆者の平均年齢が去年の時点で84歳を超えていることもあり、「これが世界に訴える最後のチャンス」という声も出ています。
広島で被爆した人たちが、G7サミットで訪れる各国の首脳に訴えたいことは何か、精力的に活動を続けている2人に伺いました。
(広島放送局記者 児林大介)
英語で海外に訴え続ける被爆者
海外の人たちに発信を続ける田中稔子さん(84)です。
G7サミットを前にアメリカで証言をしてほしいと現地の若者に招かれ、大学生や高校生など若い世代にみずから用意した原稿を手に、英語で核兵器廃絶を訴えました。
証言(田中稔子さん)
「午前8時15分、学校に行く途中のことでした。誰かが『B29だ!』と叫んだんです。上を見たら、ものすごい光で、何百万ものライトに照らされたようでした。すべてが真っ白になり、何も見えなくなりました」
田中稔子さん
「アメリカで被爆証言をするのは、G7サミットを前にした最後の機会になると思ったんです。ここで核兵器の危険性などを話さないとどうするんだという気持ちでした。だから今、現地で話すことは非常に大事な時期、大事な場面だと思っていましたね」
“生き残った負い目を感じた” 60年以上語れなかった被爆体験
しかし6歳の時、空襲に備えて火事が広がらないよう建物を壊して道幅などを広げる建物疎開作業のために自宅が取り壊されることになり、爆心地からおよそ2.3キロの今の広島市東区牛田に引っ越しました。
原爆投下の1週間前のことで、これが田中さんの運命を大きく分けることになりました。
原爆投下の瞬間、とっさに右手で顔をかばったため、右腕と頭、首の後ろにやけどを負いました。
同居していた叔母を亡くしたほか、引っ越し前に通っていた爆心地近くの同級生とは、誰とも連絡が取れていません。
田中さんは心に深い傷を負い、生き残った負い目を感じていたこともあって、60年以上被爆体験を語ることができませんでした。
そんな田中さんに転機が訪れたのは70歳の時でした。
それまで言われたことがなかった率直な物言いに、はっとさせられたのです。
田中稔子さん
「心に響きました。やっぱり私は生き残りなんだと。私が話さなきゃ誰が話すんだという気持ちになりましたね。亡くなった多くの同級生たちも、世界で話すことを喜んでくれているんじゃないか。そして、二度と核兵器が使われない世界を求めているに違いないと思ったんですね。それから被爆証言をするようになりました」
訴えへの決意を強めたロシアによるウクライナ侵攻
田中さんは、東日本大震災の翌年の2012年にウクライナを訪れていました。
この時に核の恐ろしさについて深夜まで語り合った人たちのことを案じています。
田中稔子さん
「ニュースを見ていると、本当にひどい目に遭っていますよね。戦車が走っているのを見て、何ができるか本気で考えました。そして、ロシアが核で威嚇するのを見て、もう少し頑張らなきゃいけないなと思いました。これは私たちにしかできないので、ここでもっと強力に訴えていかなきゃいけないと考えています」
アメリカの若者に“核兵器のない世界”の希望託す
世界で核の脅威が高まる中、4月、田中さんはこれまで以上に危機感を持ってアメリカに渡りました。
証言は3日間で7回にのぼりました。
証言(田中稔子さん)
「私は広島の原爆を経験しました。生き延びた人たちのことを日本語では『被爆者』といいます」
みずからのことばで伝えることで、訴える力がより強まると考えるからです。
核兵器は多くの人の命を一瞬にして奪うだけでなく、生き残った被爆者も放射線による健康への影響を心配し続けることになると、田中さんは証言しました。
証言(田中稔子さん)
「私たち被爆者は高い確率で原爆の後遺症があるのではないかと常に感じています。子どもも健康でいられるか分からず、わが子に申し訳ないという思いが常につきまといます。この精神的負担を一生背負うことになるのです。地球上の誰も同じような思いをすべきではないと思います」
会場からの質問
「体験を話すとどんな気持ちになりますか」
田中稔子さん
「話すのはハッピーじゃないです。いつも話したくないです。でも、話すことで、もしかしたら核兵器を二度と使わない世界になるかもしれないと、希望を少しもらいます」
会場からの質問
「核兵器による対立をなくすためには、共感が必要だという話でしたが、世界で共感を生み出すにはどうしたらいいと考えますか」
田中稔子さん
「宇宙から見ると、地球は小さな船。そこにみんな乗っているんです。食料や場所をめぐって争っていると、いずれ漂流して全員が死んでしまいます。その状態がいま起こりつつあることなんです。そのことを皆さん想像して、考えてください」
そして、若い世代へのメッセージを伝えました。
証言(田中稔子さん)
「若い世代の皆さん、国籍や人種の違いによらず一緒に生きる道を選んでください。いつか核兵器のない世界で将来世代が美しく輝き続ける青空のもと過ごせますように」
田中稔子さん
「ウクライナ情勢の影響もあってか、今回のアメリカでの被爆証言は、皆さん真剣な表情で聴いてくれました。終了後も質問の列が途絶えることがなく、大いに手応えと達成感がありました。聴いて下さった皆さんには、自分事として考えて、これからもそれを忘れないでくださいねって言いたいです」
“軍拡ではなく廃絶へのかじ取りを” サミットに向けた思い
田中さんに核保有国も含めた首脳たちに訴えたいことを聞きました。
田中稔子さん
「軍備を広げるのではなくて、核兵器廃絶の道へのかじ取りをしてもらえる会議になってほしいと思います。被爆者は核兵器が使われた時の怖さを知っています。首脳たちには原爆資料館をじっくり見て、被爆者の証言を聴いてほしい。自分の妻や子、親が原爆を受けたら、この人たちと同じような思いをしたらどうだろうかと想像力を働かせてほしい。核兵器はまずなくさないといけないものなんです。広島で会議をなさるわけですから、ここを平和へ向かっていく分岐点にしてほしいと思います」
今も色あせない オバマ大統領との抱擁
7年前、アメリカのオバマ大統領(当時)が広島を訪れた際、現場に立ち会った森重昭さん(86)です。
仕事の合間を縫って原爆の被害を調べていた森さんは、広島で被爆して亡くなったアメリカ兵の捕虜がいたことを知ります。
調べを進め、分かったことを海外の遺族に知らせる活動を、およそ50年続けてきました。
オバマ大統領は、平和公園で核兵器廃絶に向けたメッセージを発信したあと、森さんと抱擁を交わしました。
森重昭さん
「私の背中を自分のほうに引き寄せて下さった力が非常に強かったんですよ。オバマ氏の本気度や決心の強さを感じて、核廃絶にこの人は本気だと、つくづく思いました。『心は通じ合ったぞ』と思いました。抱擁を交わしたのは大変光栄なことで、今も全く色あせることはありません。その後、世界から講演の依頼が来るなど、私の人生は変わりました」
世界は森さんの願いとは反対に進む…
ロシアがウクライナに軍事侵攻し、プーチン大統領は核による威嚇を繰り返しています。
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、核保有国のほとんどが安全保障政策で核兵器が果たす役割をより強調しているとして、減少傾向が続いてきた世界の核弾頭の総数は、今後10年間で増加に転じるという見方を示しています。
森重昭さん
「残念です。もう声を大にして言いたい。核兵器はゼロにしてほしい。それにもかかわらず、この状況はもどかしいということをつくづく感じます。しかし、絶対に弱気になっちゃいかん。各地で講演する機会がありますが、核廃絶は無理かと思われたんじゃ何のために呼ばれて核廃絶に関する話をするのか分かりませんからね。『ここで頑張らんといかんぞ』と思います」
G7リーダー“原爆資料館を見て被爆の実態知って”
G7広島サミットを前にした5月中旬、さまざまな宗教の関係者が宗派を超えて話し合うシンポジウムで、自身が被爆直後に見た光景について語りました。
森重昭さん
「猛烈な爆風に見舞われて吹っ飛ばされました。しばらくして、1人の女性が近づいてきました。よく見ると女の人です。血だらけです。胸が裂けていて、中から飛び出た内臓を両手で抱えて『病院はどこですか』と尋ねてきました。その後、私は道に横たわる人の顔や胴体を踏みながら逃げました。泣きながら逃げました。命のことを考えたのはこの時です。『死にたくない』というのが本音でした」
そして、被爆して亡くなったアメリカ兵の調査研究を続けてきた思いについて、目に涙を浮かべ、声を震わせながら振り返りました。
森重昭さん
「自分の夫や息子が広島で行方不明。それを誰も知らせてくれない。家族はどんな気持ちでいたでしょうか。でも、知らせるととても喜んでくれた。そうした遺族とは今も連絡を取り合っていて、先日も広島に来てくれました。どんなに喜んだと思いますか」
森さんには、海外からの講演依頼も多く、4月にもアメリカの大学とオンラインで結んで話をするなど、国際的な発信を続けています。
この日の講演も英語の同時通訳をつけて世界に配信され、主催者によりますと、アメリカやイギリス、インド、アフリカのナイジェリアなど、11か国のおよそ300人がインターネットを通じて視聴したということです。
森重昭さん
「いま世界は、平和とは反対の方向に進んでいると感じます。G7のリーダーにお願いしたいのは、被爆者に話を聞く。そして、その人たちが受けた被爆の実相を原爆資料館を見て知ることです。そして平和について話をしてもらいたいと思います。原爆は皆さんが想像するよりはるかにはるかに恐ろしい兵器だと私は思っています。誰が平和を守るんだ、自分しかいないと認識してほしいです」
肌身に感じた被爆者の決意
一方で、「話す責任がある」と考える田中さんの、G7サミットに向けた決意のようなものを感じました。
森さんにも継続して話を聞いていますが、オバマ元大統領との抱擁で期待した核兵器廃絶が、全く進まないどころか、反対の方向に進んでいる状況について、ことばの端々から悔しさやもどかしさを感じました。
一方で、諦めないエネルギーの強さも同時に感じた取材になりました。
核兵器廃絶を願う広島の声は、G7サミットで集まる各国の首脳に届くのか。
そして、サミットでは核兵器廃絶に向けてどのような議論が交わされ、どのようなメッセージが出されるのか、注目したいと思います。
広島放送局 記者
児林大介
2006年入局
鳥取→和歌山→東京→盛岡→広島
5つの放送局で勤務
東京ではニュースウオッチ9リポーターとして全国のさまざまな現場を取材したほか、各地の夕方6時台ニュースでキャスターも経験
山口県出身
からの記事と詳細 ( “サミットが最大のチャンス”核兵器廃絶 被爆者 世界への訴え - nhk.or.jp )
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