「はじめはご飯の味もわからなかった」子どもと3人で避難 鹿児島に避難のウクライナ女性(40)侵攻1年[02/24 19:11]
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって、24日で1年です。
国連難民高等弁務官事務によりますと、ウクライナから国外へ脱出した人は、今月21日時点で1800万人を超えていて、鹿児島県内では、ウクライナからの避難者21人が暮らしています。
ロシアもウクライナも「勝利に向けた」姿勢を崩さず、停戦の見通しは立っていません。
県内に住むウクライナ人は、この一年をどう過ごし、いま、何を思うのか、話を聞きました。
(カミンスカ・オレーナさん)「1年経ったと感じない。すごく嫌、今の戦争の状態」
カミンスカ・オレーナさん(40)。ウクライナ西部のフメリニツキー州出身です。
中学3年の息子と1年の娘がいるオレーナさん。以前日本で暮らしていたことからロシア軍の侵攻直前にトルコを経由し、家族3人で日本へ避難。到着して数時間後、ホテルで一報を目にしました。
(オレーナさん)「パニックになった。何したらいいか、どうしたらいいか分からなかった。普通だったら1年ってすごい結構長い時間で、その1年で何かいろいろできるけど、私にとってこの1年はずっと1日みたいに続いている」
友人が鹿児島に住んでいることから去年3月に鹿児島市へ。翌月からアパートを借りて生活を始めました。
県フードバンクセンターによる食料支援などを受けながらウクライナ料理の教室やチャリティーイベントに参加するなどして、ほかの避難者や鹿児島の人たちと交流を深めてきました。
一方で、2人の子どもたちは、日本語にまだ慣れることができず苦労しているといいます。
(オレーナさん)「(鹿児島には)ウクライナの人は少ないし、コミュニティ、外国の人も少ない、子どもたちが寂しい気持ちしかしていない。(ウクライナの)友達と連絡をとっているので、戻ろうか?と聞いたが、娘は「戻るのは怖い」と」
子どもたちと複雑な思いで生活を続けるオレーナさんですが、家計のために去年12月から鹿児島市のホテルで働き始めました。
少しずつ心境の変化を感じています。
(オレーナさん)「(以前は)気持ちが寝たきりみたいになっていた。ご飯を食べた時にご飯の味が分からない、今はもうこれから(先を)考えることを考えるようになってきたから気持ちも落ち着いた」
Q.平和になったらどんな選択をしたい?
(オレーナさん)「平和になって、誰が大統領になるか、経済がダウンしている、どう回復するか、地雷もウクライナはすごく多いし、今は分からない。その時が来ないと私は何も答えられない」
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