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Thursday, September 15, 2022

「帰国かなわねば0点」 横田めぐみさん拉致、元捜査員の悔い - 毎日新聞 - 毎日新聞

娘が「死亡」と伝えられ、涙ながらに会見する横田早紀江さん(右端)と滋さん(前列右)=衆院第1議員会館で2002年9月17日午後6時17分、川田雅浩撮影
娘が「死亡」と伝えられ、涙ながらに会見する横田早紀江さん(右端)と滋さん(前列右)=衆院第1議員会館で2002年9月17日午後6時17分、川田雅浩撮影

 わずかに立った白い波が、並んだ消波ブロックの間に吸い込まれた。「この海の向こうにいるんですよね」。2022年9月上旬、新潟県警の元幹部(68)は新潟市の海岸に立ってつぶやいた。1977年に行方不明になった横田めぐみさん(当時13歳)の捜索に加わり、その後も拉致事件の捜査を指揮した。「もっと何かできたんじゃないか」。北朝鮮が拉致を認めた日朝首脳会談から17日で20年。元幹部の心の中には事件が今もとげのように残る。

 77年11月15日夜、新潟中央署の寮の電話が鳴った。「少女がいなくなったようだ」。誘拐か、家出か……さまざまな可能性を思い浮かべながら元幹部は署に急行した。

 当時は外国スパイによる犯罪を捜査する外事係に在籍し、密入国対策で海から上陸しやすい場所の警戒などにも当たっていた。しかし、その時は「日本人が北朝鮮に連れ去られるとは思いもしなかった」。国内の北朝鮮協力者に対する捜査などの指示もなく、元幹部は捜索隊の一要員として、棒を持って地面をつつきながら歩き回った。

 「外事畑の経験豊富な幹部もいたが、当時は北朝鮮が話題に出たことはなかった」

 未解決のまま、97年になって、めぐみさん拉致に北朝鮮が関与していたことが元工作員の証言などで浮上した。警察庁を通じて海外の領事館に出向中だった元幹部は、そのニュースを聞いて衝撃を受けた。

 その頃になると、警察はすでに北朝鮮による日本人拉致の存在を認識していた。しかし、想定していたのは、被害者の身分を乗っ取る「背乗り」か、北朝鮮工作員の「教育係」の獲得を目的としたもので、10代の女性が被害にあうとは考えていなかった。「まさか少女まで…

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