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Tuesday, November 23, 2021

全斗煥元大統領が死去 クーデターで実権掌握、90歳―韓国 - 時事通信

2021年11月23日15時17分

警備担当者に手を引かれソウルの自宅を出る全斗煥元韓国大統領=8月9日(EPA時事)

警備担当者に手を引かれソウルの自宅を出る全斗煥元韓国大統領=8月9日(EPA時事)

  • 日韓首脳会談で握手する中曽根康弘首相(右、肩書は当時)と韓国の全斗煥大統領=1984年9月、首相官邸
  • 韓国の盧泰愚元大統領(左)と握手する全斗煥元大統領=1995年2月、ソウル(AFP時事)

 【ソウル時事】1979年のクーデターで実権を握った韓国の全斗煥元大統領が23日、ソウルの自宅で死去した。関係者が明らかにした。90歳だった。血液のがんで闘病していた。経済発展を実現し、五輪誘致で韓国の国際的地位向上に貢献。韓国憲政史上、初の平和的な政権交代で権力を譲ったが、80年の光州事件など民主化運動の弾圧で批判を受け続けた。

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 先月26日には盟友の盧泰愚元大統領が死去したばかり。軍事政権から民主化した激変期の大統領が相次いで世を去った。
 朝鮮戦争中に陸軍入りした全氏は士官学校同期の盧泰愚氏らと共に軍人出身の朴正熙大統領(当時)を支えた。79年に朴氏が暗殺されると、国軍保安司令官として事件の捜査を指揮。同年、クーデターで戒厳司令官兼陸軍参謀総長を逮捕し、実権を奪った。
 80年に金大中氏ら野党指導者を逮捕し、南西部の光州で起きた民主化要求デモの鎮圧に特殊部隊を投入。多数の市民が死傷し、軍法会議は金大中氏に「暴動の首謀者」として死刑判決を下した。
 同年に大統領就任後、経済成長路線を展開。外交では、冷戦時代を反映し米国との同盟関係を強化し、大韓航空機爆破事件など北朝鮮によるテロも発生した。日本とは教科書問題でぎくしゃくする時期があったものの、中曽根康弘首相(当時)と密接な関係を築き、韓国大統領として初めて日本を公式訪問した。
 強権的な手法は内外から非難を浴びたが、88年のソウル五輪誘致に成功。87年の民主化デモの高まりを受け、後継に指名した盧泰愚氏に直接投票選挙の導入などを柱とする「民主化宣言」を促し、同氏の大統領当選につなげた。
 88年の退任後、親族らによる不正が摘発され、全氏は政治的影響力を失った。金泳三政権下でクーデターや光州事件などの責任を問われ逮捕され、無期懲役刑が確定。特赦で釈放されたが、2020年に光州事件をめぐる名誉毀損(きそん)罪で有罪判決を受けるなど、晩年まで汚名をそそぐことはできなかった。

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