山本氏の出馬表明で大混乱
各社の情勢調査で10ポイント以上の大差がつけられていた石原氏。「8時当確」が出るのではないかと言われていたが、その通りの展開となった。 「石原氏は当選10回を重ねてきましたが、ここ5回の選挙では、16万、14万、13万、11万、10万と、じわじわ票を減らしてきました。それでもなんとか議席を守り続けてこられたのは、これまで野党候補が乱立してきたからです」(政治部記者) 2017年の前回選挙では、石原氏が約10万票、今回当選した立憲民主党の吉田晴美氏が約7万6000票、希望の党の木内孝胤氏が約4万票、共産党候補が約2万2000票。もともと、野党共闘が実現すれば議席を失いかねない状況だったのである。 だが、10月8日、野党陣営に衝撃が走る。立候補を表明していた立民の吉田氏と共産党候補との選挙協力の話し合いが行われる最中、突如、れいわ新選組の山本太郎氏が東京8区からの出馬宣言をしたからである。
態度がでかすぎる
「立民の枝野幸男代表は『困惑している』と記者団に語り、あからさまに不快感をあらわにしました。吉田氏でかなりの手応えを感じていたところに、協力を約束していた同じ野党から、ちゃぶ台返しを食らったわけです。一方、山本氏は『事前に枝野さんと話し合って決めていた』などと反論。醜い野党同士の争いに、石原氏は膝を打っていたに違いありません。吉田氏はこの騒ぎで体調不良になってしまいました」(同前) 結局、山本氏の暴走は3日で沈静化。11日に東京8区での出馬を取りやめ、比例東京ブロックに回ると発表した。 「小沢一郎氏が間を取り持ったと言われています。結果として雨降って地固まり、野党共闘が実現する運びになり、15日には共産党候補も立候補を取り下げました。一連の騒ぎで、体調を崩した吉田氏に対する同情票も増えたと言われています」(同前) 一転、窮地に陥ったのは石原氏である。背に腹を変えられず、公明党に協力をもらいに頭を下げに行ったというが、けんもほろろに断られたという。 「横柄な態度を取る人ですからね。日頃から地元の公明党関係者を軽んじていたようで、“何をいまさら”という対応だったと聞いています。結果として、前回までは出ていた推薦が今回は出ませんでした。東京25選挙区のなかで公明党の推薦が出ていない自民党候補は、かつて山口那津男代表と激突した過去がある平沢勝栄氏の17区と8区だけ。もっとも、選挙に強い平沢氏は公明党の推薦など必要としてしませんが」(同前)
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